想外スイーツ


 午前零時。龍平さんはまだ帰って来ていない。
 …いいんだ、もう連絡もせずに龍平さんが朝帰りしようが何しようが平気なの。龍平さんがいちいち連絡してくるような人じゃないことはわかってるし、わたしも、龍平さんが帰って来ないことにまた慣れたから。
 目下問題はそんなことじゃない。目の前にあるホールケーキ。作ったのは、つい数時間前のわたしだけれど。
 時間も遅いし、女の子としてはこんな時間にケーキを食べたくない。でもこのまま置いておくのも惜しくて、龍平さんに見られるのも癪で。

「…………食べるか」

 わたしはキッチンから皿とフォークと包丁を持ってきて、ダイニングテーブルに置いていたケーキを切り分けた。多すぎるのは百も承知で四分の一カット。明日から、走って大学まで行こうかな。
 深夜の部屋で一人、聴くでもない音楽をバックに自作ケーキを食べる女子大生。わたし…いいのか、これで。
 お菓子作りは人並みに好きだけど、スポンジケーキは実は初めて。ちょっと自信作だったのにと今更嘆いて、フォークの先で一口分すくった。

 そもそも、確認しなかったわたしが悪い。今日帰ってくる?って、聞けばよかったんだ。でも聞いたところで結局こうなってたなら意味ないか。大学生だもんね、飲みに行くよね、そりゃ。

 苦笑ともため息ともつかない音を出して、わたしはケーキを口に運んだ。

「…っ!」

 運んだ、はずのケーキはわたしの口に届く前に目の前で止まっている。フォークを持つ右手には強い圧迫感。

「…何、食べようとしてんだ?」
「あ、お帰り、龍平さん」

 いつ帰ってきたのか、全然気づかなかった。わたしって無用心かもしれない。それとも、龍平さんが寝ているかもしれないわたしに気を遣って静かに入ってきたのかな。
 ケーキとそれにまつわる考え事で、周りを少しも気にしていなかった。
 後ろを見上げると、相変わらず仏頂面の龍平さんがギギギと音がしそうなくらい鋭い視線でわたしを見ていた。
 そんな顔しても、もう怖くないんだから。わたしは嫌味な作り笑顔で微笑んで見せた。

「見てわかるでしょ?ケーキ」
「なんであるの?」
「わたしが食べたかったから。…手、放してくれる?」

 龍平さんに掴まれたままの手は不自然に後ろに反っているから痛い。ケーキ、クリームが落ちそう。
 わたしの要求を無視して、龍平さんは腕を放してくれなかった。わたしの見ている目の前でフォークに顔を近づけ、獰猛な獣のように口を開け、ケーキに食い付いた。

(……あぁ)

「…美味しい?」
「ああ」

 悔しいのと同時に、少しほっとする。だって、このケーキ、本当は龍平さんに食べて欲しかったんだから。
 どちらも何も聞かないし言わないけど、このケーキが何のためにあるかくらいはわかっていた。わたしは自分が食べたかったなんて嘘をついたけど、龍平さんが見破れないわけがない。
 わたしからフォークを奪い取り、立ったままケーキを食べ始める龍平さんに席を譲った。
 向かいの席に座りなおし、わたしは非甘党の龍平さんには苦しいくらいのケーキと、それに奮闘する龍平さんを見つめた。

「…知ってたんだな」
「うん、この前宗祐先輩が教えてくれた」
「…ひよりが知ってるってわかってたら、プレゼント期待して早く帰ってきたのに」
「でも友達に祝ってもらったんでしょ?そっちがいいよ。それしかないし」
「十分だ」

 今日は…、昨日は龍平さんの誕生日。彼は今年で24歳になる。もう立派な大人だ。
 我が儘で身勝手で横暴で掴み所のない人だけれど。四捨五入したらもうすぐ三十路だなんて、もう笑うしかない。

「…ありがとな」
「わたし何も言ってないよ」

 にっこりと笑っていい返すと、龍平さんは腹立たしそうに顔を顰めた。
 約束があったわけでもないけど、帰りが遅かった龍平さんのほうが今は圧倒的に不利だ。
 有利なわたしはどこまでも強気。今なら調子に乗って何だって言える。
 わたしはひどく愉快な気分だった。

「お祝いしてあげられるの、今年だけだからね」

 龍平さんの手が一瞬止まった。けれどその一瞬は見間違いと思えるほど短い一瞬で。
 こんな些細な言葉に動揺するくせに、龍平さんは来年には間違いなくこの家を出て行く。否定するとか、肯定するとか、すればいいのに。
 わたしやこの家をすごく大事にしているくせに、人に取られることをすごく嫌がるくせに、龍平さんは平気な顔をしてわたしを放置する。置き去りにする。
 ねぇ、わたしは龍平さんのただの同居人だから何も聞かないよ。聞く資格もないよ。でもね、時々どうしようもなく言葉が欲しくなるんだ。
 何か言ってくれればわたしは安心するのに。もうこんなつまらないことで心を煩わされずに済むのに。

 皿の上をきれいに空にした龍平さんがフォークを置いた。
 まともに顔を上げた龍平さんと、ようやく目があう。
 申し訳なさそうなのに怒っているようで、それでいて寂しそうな顔。自分の誕生日ぐらい、もっと気楽に、楽しそうにしてればいいのに。

「誕生日おめでとう、龍平さん」

 今一番言いたい言葉はそんなものじゃなかったけれど、わたしは作りものじゃない笑顔でそう言った。
 おめでとう、龍平さん。来年の今日、貴方は確実にここには居ないのだ。



 TOP 





inserted by FC2 system