喪失ノスタルジア


 平日の夜、今夜はわたしもバイトがなくて、龍平さんも早く帰ってきていて、二人してリビングでぼんやりテレビを見ていた。
 龍平さんはリビングの二人掛けソファーがいたく気に入っているらしく、そこに伸び伸びと座って煙草を吸っている。
 わたしは龍平さんが座ってないほうの一人分のソファーのスペースを背もたれに絨毯の上に座っていた。並んで座るのは、何だか気恥ずかしいしから。
 こうして上下分かれて隣に座るのが、最近のわたしと龍平さんのお決まりになっている。

 眠くないわけじゃないけど眠りたくない。ここにいる間は、ちゃんと龍平さんの存在を感じることができるから、安心するんだ。
 でもそろそれ寝なきゃな、明日も学校だし。歯を磨いて寝る準備をしようかと思った途端、携帯がけたたましく鳴った。わたしのじゃない。
 龍平さんは心底面倒くさそうに自分の携帯を確認すると、今度はあからさまに不快感を露にした。携帯を開き、そのまま着信を切った。

「…ちょ、いいの?こんな時間だし、緊急の用事かもしれないのに…」
「いい。親だったから」
「…」

 龍平さんは、家族とうまくいってないらしい。特に両親と。詳しくは聞いてないけれど、出会ったあの雨の日も、喧嘩して飛び出してきた後だったとか。
 親と喧嘩なんてしたことないから、わたしは龍平さんに何も言ってあげられない。

 また着信音が響いた。さっきと同じように、携帯を開いた龍平さんは問答無用で着信を切った。

「…うぜぇ」

 そのまま携帯電話そのものの電源も切ると、無造作にテーブルの上に放り出した。

「心配されてるんだよ」
「成人した大学院生の息子を?そりゃ過保護すぎだろ」
「でも、親にとって子供はいくつになっても可愛いって言うし…」
「それでも、ひよりには関係ない」

 ずばっと言われて、わたしは口を閉じた。しまった、言い過ぎたな。嫌いだって言ってるんだから、下手なフォローなんてしなきゃよかった。
 関係ないのは事実だし。詳しいことは知らないし。詮索はされたくないよね、馬鹿なことをした。自分の失態に泣きたくなる前に、さっさと自分の部屋に入ろう。丁度眠くなってきたし。
 僅かな沈黙のあとに立ち上がろうと腰を浮かすと、後ろから龍平さんの気まずそうな声が聞こえた。

「…ごめん。今の言い方は酷かった」
「いいよ、そのくらい気にしてないから。龍平さんの家族のことは、わたしにはわからないし」

 出来るだけ普通に聞こえるように言ったけど、やっぱりちょっとトゲトゲしく聞こえたかもしれない。怒ってるわけじゃ、ないんだけど。
 申し訳なさそうに龍平さんが俯いているから、一度立ち上がったわたしは結局もう一度腰を下ろした。龍平さんの隣に。

「…ひよりん家は、そういうのないの」
「うち?…うちは家族いないから」
「は?」
「家族、いないよ。わたしだけ。あ、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはいるよ」
「…親は?」
「わたしが高校の修学旅行に行ってる間に事故で死んじゃった。弟もね」

 あんまり話したことはないけど、聞かれたらありのままを答えられるくらいにはわたしも成長した。大学生になってからは、まだ誰にも言ってないけど。利乃でさえ、知らない。

「…マジで」
「うん。だから、ここが本当にわたしの家なの。独り身だから、大学生にしては贅沢でしょ?」

 広いキッチンと、リビング。そして寝室。収納もたくさんあって、そこには家を売り払ったときどうしても捨てきれなかった思い出たちがたくさん詰まってる。

 龍平さんが、聞くんじゃなかった、って顔をしていた。

「…もう二年も前のことだから、平気だよ。むしろ誰かに話してしまいたかったくらい」

 話して、そして寂しいって言いたかった。いつも平気な顔をして笑っていても、本当は傍にいてくれる誰かに憧れていたんだ。

「だから、龍平さん気にしなくていいよ。うちに居ても、男物の服を見て騒ぎ立てる母親もいないし、出ていけとか言う父親もいないから」

 だから安心してって言ってるのに、どうして龍平さんは哀しそうな顔をしているんだろう。平気だって、言ってるじゃない。

「ひより…」
「ん?」
「寂しくないの」

 寂しいよ。
 …そう言えるだけ素直な女の子だったら、どれほどよかっただろう。

「…もう慣れたよ」

 今は寂しくないよ。
 …そう言ってもよかった。でもそう言ったら、龍平さんの重荷になってしまいそうで、言えなかった。

 龍平さんはわたしから視線を反らし、自分で電源を切った携帯電話に向けた。

「ひよりから見たら、俺って贅沢だろ」
「…まぁ、大抵みんな贅沢だよ。でも人の家の事情に口を挟むつもりはないから。さっきはわたしが言い過ぎました」
「いや、それは、いいけど…」

 ごめんなさいと謝ると、龍平さんはいたたまれないように視線を天井に向けた。

「…俺、贅沢なのかな」
「…そんなことないと思うよ。家族みんな揃ってて幸せ、って家はたくさんあるし。不満があるなら、逃げてもいいんじゃない?」

 よくわからないけど、と付け足すと、目を閉じた龍平さんが呻いた。

「ひより、すげぇな」
「すごくないよ。多分、家族について考えた時間が龍平さんより長いだけだよ」

 本当にそれだけだと思う。しかもその大半が失った後で、家族への理想とか憧れだから、龍平さんの相談には全然役に立たない。
 わたしがそう言って笑うと、龍平さんは酷く真剣な顔をした。携帯電話を手に取り、少し考えてまたテーブルの上に置いた。

「…今夜は、もう寝る。それで、明日から考える」
「うん、それがいいよ。寝たら少しはスッキリするし」

 今度こそわたしは立ち上がった。洗面所で歯を磨いてリビングに戻ると、龍平さんはすでにソファーの上に横になっていた。

「布団じゃなくていいの?」

 クローゼットには来客用の布団が一組入っていると言っているのに、龍平さんが使うのは掛け布団だけで、いつも小さいソファーで寝ている。

「いい。俺ここ好きだから。…ひより」
「ん?」
「寂しかったら一緒に寝てやるけど?」

 龍平さんが、唇を薄く開いて悪戯っ子のように笑った。

「………遠慮します。おやすみ、龍平さん」
「ああ、おやすみ」

 自分の部屋に入って、すぐに布団に潜り込んだ。
 眠気もすぐにやってきた。久しぶりに人に話したから、少し緊張したんだ。

(…、一緒に寝るとか)

 有り得ないよ、龍平さん。わたしは子供じゃないんだし。慰めてもらいたいほど弱くもない。それに、…龍平さんの彼女になりたいわけでも、ない。
 ただそこに居て。同じ部屋にいて、少しでいいからわたしの寂しさを紛らわせて。
 それだけで、いいから。



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