信頼エルミタージュ


 夕暮れ、いつものようにわたしの家のチャイムが鳴った。
 読みかけの本にしおりを挟み、わたしは玄関の鍵を開けるために立ち上がった。もう、面倒くさい。
 鍵を開けて、ドアを開けると、大きな紙袋が雪崩込んできた。

「!?」
「ひより、それ奥に持っていって」

 聞こえたのはちゃんと龍平さんの声で。紙袋を玄関のたたきから持ち上げると、同じように大きな袋を抱えた龍平さんが入ってきた。帰ってきた。

「これ何?」
「服とか教科書とか、俺の」

 二人してリビングに運びこむ。床に置くとどさっと重たい音がした。

「…どこから持ってきたの」
「いろんなとこ。宗祐とか、他の友達とか」

 決して実家からではないところが龍平さんらしい。掻き集められた龍平さんの私物は大きめの袋二つ分。
 たった袋二つ分の私物をここに運びこんだってことは、つまりあれかな、ここを本格的に拠点にすると決めたってことかな?

「帰ってから整理する。ちょっと学校戻るから。…あ、俺明後日から就活で家空ける」
「…あっそう」

 わたしの返事に不満げに、荷物と格闘していた龍平さんはようやくわたしのほうを向いた。
 そんな、他に何て言えばいいのさ。
 来年卒業なんだから、就活は当然。家を空けるのも仕方ない。何日くらいいないつもりなのか知らないけど、その間わたしは一人なんでしょう?
 平気だよ、わたしは気にしないよ。寂しくないよ。

「…お土産、買ってくるから」
「うん、期待しないでおくよ」
「…」

 りゅーへいさん、どうしてそんな眼でわたしを見るんですか。なんだか、初めて出会ったときのような、不安げな眼をしてる。
 龍平さんが不安になるようなこと、この家にはないでしょう?
 何を言うでもない龍平さんに、わたしは大きくため息をついた。

「…明後日から家空けるなら、これは戻ってからでいい?」
「何?」
「合鍵。うちの」

 龍平さんが、荷物の山から手を離した。

「…いる。今いる」
「そう?」

 わたしはポケットから出した作りたての合鍵を龍平さんの差し出す大きな手のひらに乗せた。

「なくさないでね。家の鍵とかと一緒にしてて」
「…実家の鍵ない。置いてきた」

 手の上で飾り気のない鍵を弄ぶ龍平さんを見てわたしは唖然とした。そこまで実家が嫌いですか。

「ホントにいいの、これ」
「うん。ないと不便でしょ?龍平さんがここに住む間は、それはあなたのものです」
「…ああ」

 だから、ここを出ていくときは返してねっていうわたしの意思を、龍平さんは正しく受け取ってくれたみたい。今度は神妙な顔で鍵を見つめている。さっきは無邪気に嬉しそうな顔してたくせに。

「…まぁ、なくさなければいいから。学校、戻るんでしょ?」
「ああ」

 思い出したように気乗りしない顔で玄関に向かう龍平さんにわたしもついて行った。お見送り。これは、家で待つ側の人の義務だと思うんだ。

「…帰り、遅くなるかもしれないから、寝てていいから。鍵で自分で入ってくるし」
「うん、じゃあ勝手にしとくよ」
「悪い…、じゃ行ってきます」
「行ってらっしゃい」

 ぱたん、と音がして扉が閉まって、大きな足音が遠退いていった。
 わたしは鍵をかけてリビングに戻ると、大きな備え付けのクローゼットに対面した。
 ここを片付けて、龍平さんの荷物を納めるスペースを作らなくちゃならない。実用品はほとんどないから、どれを捨ててもいいんだけどね。
 思い出の品といっても、いつも見返すわけじゃないし、最近は過去を振り返ることもめっきり少なくなったし。
 龍平さんが居ないうちに、整理してしまおう。そうすれば、遅くまで起きていられるし。
 龍平さんは寝てていいって言ったけど、わたしは起きていたいんだ。
 わたしじゃない誰かが鍵を開けて帰ってくる音を、聞きたいんだよ。



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